2025.10.15
ばぁちゃんの馬油を訪ねて~熊本馬油をめぐる旅~・後編

熊本には、昔から「馬肉」を食べる食文化がありました。 馬肉は県民にとって、特別なごちそうでもあったといいます。生活の中に馬がいる暮らしが根付き、今も受け継がれている馬の魅力を感じたいと熊本県・阿蘇にある「西原牧場」を訪ねました。
自然の摂理に沿って育てられている馬
西原牧場は熊本県阿蘇に位置する広大な牧場で、食肉用の馬を育てています。ここに暮らす馬は数百頭。馬肉生産出荷量は国内全体の約2割と、日本一を誇る生産・飼育の会社が有する牧場のひとつです。牧場といっても、そこは見渡す限りの阿蘇の雄大な山。あまりに広すぎて馬は放牧されると1~2週間は帰らずに、悠々と牧草を食ベ歩くといいます。それも「馬はとても繊細でストレスに弱いので、人間の都合に合わせた飼育ではなく自然の摂理に沿うように育てたい」という牧場の方針があってのこと。
西原牧場 飼育長 開原 明さん
馬の飼育について、飼育長である開原明さんにお話を伺いました。
「馬はすごく表情が豊かなんです。動物は体や尻尾を動かして感情をあらわすことがありますが、馬は顔の表情で感情がわかるんですよ。特に瞳を見てみて。目をキラキラさせたり、ひん剥いたり、細めたりと、とにかく感情が豊かなんですよ。まるで人間みたいでしょう?」。我が子のことを話すかのように優しい眼差しで馬を見つめる開原さん。「私たち飼育員は、365日、毎日馬と一緒にいるから、それはもう愛情が湧きますよ。何百頭の馬の顔も見分けられますしね。僕が行くと馬が寄ってきて、顔を舐めたり頬ずりしてくれます。手をかければかけるほど、馬は応えてくれます」。

「ちゃんと人間のいうことを理解しているんですよ」と笑う開原さん。
立派な馬肉として出荷したい
いつも穏やかな開原さんも、馬に少しでも変化があらわれるとピリピリしてしまうといいます。「命を扱っているから、一秒足りとも気が抜けません。特に気を配っているのは、馬の健康管理ですね。食欲があるか、鼻水が垂れていないかなど、毎日一頭一頭チェックしています。足が悪くなったり病気になってしまうから、糞尿もすぐに片づけないといけません。
馬には水道水は飲ませず、すべて阿蘇の湧き水を与えています。馬の内臓は非常にデリケートで、その肉を生食で人間が食するのですから決して妥協はできません。この広い牧場を駆けずり回って、丸一日飼料を作ることもありますよ。阿蘇の山だから過酷な自然環境だけれど、それもすべて立派な馬肉にするため。世界一の馬肉として自信をもって出荷したいからです。どんな苦労も喜んでくれる人がいると思うと、一瞬で吹っ飛びますね」。
阿蘇の大地から流れてくる天然水。
馬の命をいただいて生まれた“命の油”
「熊本の馬肉文化に誇りを持っているからこそ、最後の食肉になるまできっちり仕上げて育てていくのが私たちの役目」と胸を張る開原さん。最後に、「この牧場の馬は、栄養豊富な大量の牧草と阿蘇のきれいな湧き水で育てられていることが自慢です。この条件はなかなか揃わない。だからこそ、馬が熊本の恵みで生かされていることに日々感謝しています」と話してくれました。
そんな西原牧場で育てられた馬は一日8~9頭ずつ、主に生食用の食肉として加工・出荷されています。しかし、食肉としてすべて食されるわけではありません。どんなに上質な馬肉でも一日に出荷できる量は決まっているので、部位によっては廃棄されてしまう肉もあるのです。廃棄の肉の価値は計り知れません。
その馬肉をさらに加工して、余すことなくいただいているのが「熊本の馬油」。まさに、馬油は最後まで馬の命を振り絞って生まれた“命の油”なのです。熊本の豊かな自然があり、馬がいて、その恵みを享受して生まれた「熊本の馬油」。その貴重な馬油が時代をまたいで重宝され続けているのです


<2023年 新春号 Vol.59 15-16ページ掲載>